20周年記念コラム・沖縄健食街道を行く 〜ゆいまーるが紡いだ「沖縄別冊号」〜
健康産業新聞初の地域別冊号として「沖縄県」を発行してから20年が経った。企画を練っていた当時、「オキナワ式食生活革命沖縄プログラム」がベストセラーとなったことに加えて、ちゅらさんブームも追い風となり、もろみ酢、シークヮーサー、フコイダン、ノニ、サンゴなどのサプリメントから琉球コスメに至るまで、沖縄特産素材を活用した商品が流通量を急拡大していた。健康産業新聞で沖縄県の健康産業を紹介し、参入企業をサポートすることができないだろうか。そう考えていた私は、機は熟したと判断した。1日7件のアポイントを詰め込み、沖縄県への出張取材を強行した。
しかし、当時、沖縄県での健康産業新聞の知名度など無きに等しい。苦労は絶えなかった。怪しい勧誘だと思われたり、全く話をしてくれなかったり、アポイントのドタキャンなど数えきれない。帰りの那覇空港のトイレで血尿が出たこともあった。ただ若さも意地もあった。取材や協賛を断られても、キーカンパニーには1日2回訪問し、趣旨を説明した。昼休みに社長の息子のキャッチボールの相手をしたり、「なぜあなたに話をしなくてはいけないのか?」という会長と、灼熱の砂浜で何時間も議論したこともあった。私の右腕にはその時できたシミがいまでもある。
苦労話はこの辺に。そんな状況が数年続き、沖縄発酵化学(現金秀バイオ)、沖縄長生薬草本社、仲善、ネットリサーチ(現沖縄六角堂)、石川酒造場、南島酒販など、協力して頂ける企業が数年掛けて少しずつ増えてきた。企業はもとより、県や団体、公社のキーパーソンを紹介して頂き、沖縄別冊号を発行できるようになった。沖縄の方言で助け合いを意味する「ゆいまーる」を教えてくれたその方たちに、心から感謝申し上げたい。
県内を代表する企業の社長にお集まり頂き、座談会を開いたこともあった。「外資系洋風ファストフードが日本で最も早く導入された沖縄になぜ長寿の人が多いのか」「日本唯一の亜熱帯。特有植物の宝庫である沖縄に、薬学部がないことに大きな疑問がある」など、今でも20年前の興味深いコメントを思い出す。薬学部については、沖縄県が県内国公立大学に2028年の開学を目指すというニュースを聞いたのが昨年のこと。取り組みの遅さは否めない。
沖縄には独自の素材が無数にある。エビデンスをしっかり構築している企業もあるし、沖縄国際物流ハブとしての強みもある。それは沖縄を初めて取材で周った時から感じでいた。ただ、誤解を恐れず言うのであれば、沖縄特有の宝を守れていない。本土企業においしい所を取られてきた気がする。必要なのは特許であり、商標であり、そしてなにより発信力である。微力ながら健康産業新聞がその発信力の一助になれればと願っている。その気持ちは灼熱の砂浜から変わっていない。
詳しくは健康産業新聞1790号別冊『沖縄県~健康産業~』(2024.6.19)で
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